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今井大権現神社の案内をそこの管理をされている大江強さんに案内を頼んだ。

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まず、海岸に連れてこられた。砂浜の奥の岩場まで案内され、この集落の立神が正面に見えるところに到着した。写真右のように背面には山がそびえ立っていた。今井大権現神社はこの山頂に位置している。

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「ここで裸足になって波を利用しながら体を清めなさい。」と言われたので海水に足をつけ、海水を少し頭にかぶった。
大江さんは少し先の岩場に行ってふんどし一丁になり海水に潜っていた。

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お清めが終わると、砂浜の砂や海水を集めて持っていった。

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今井大権現神社は龍郷町の安木屋場集落の山奥にある神社で、周辺の秋名集落・円集落からもお参りに来られる方の多い神社である。しかし、山奥にあること、多くの石段があることによって高齢化の進むこれらの集落では行きづらい方が増えている。私たちはかなりの重量のある海水と砂を159段もの急な石段を登って運んだ。

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神社に到着すると先ほど海に行って持ってきた海水をこの神社のそばにある入れ物の中に入れた。これは一般の神社の手水舎のようなもので手を洗ったりするために使う。

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そして、神社の周囲に海から運んできた砂を撒いた。お清めの効果があるそうだ。

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神社のそばにある祠に手を合わせる時も海から持って上がった砂を使用している。線香を立てている砂は砂浜から運んだものである。
この祠は壇ノ浦の戦の後奄美大島に流れ着いたとされている安徳天皇と結婚したという女性を祀ったものである。

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祠の周囲にも砂を撒いている。

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神社の内部の様子である。このしめ縄はマコモという中国・朝鮮から現在の稲が伝わる前から育てられていた古い種類の米から作られている。

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神社の中では収穫した稲穂を数本束ねて飾ってある。実りへの感謝の気持ちを込めて旧暦6月壬(みずのえ)戊(つちのえ)癸(みずのと)の日に稲を3本取ってミキと一緒にお供えするアラホバナという祭祀が行われている。

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海の近くの山の麓に立っている神社の中の様子である。右には亀の形をした木魚が置かれている。

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秋名は比較的に稲作が盛んな地域であり、集落の山間部近くになると、田んぼが広がっている。奄美大島北部の農業地帯ではサトウキビ畑がほとんどで田は滅多に見られなかったが、秋名には田がたくさん見られ、稲作をしておられる方もたくさんいらっしゃった。

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左の写真は秋名の田の様子である。これは普通の米ではなく、マコモといい食料として以外にも祭祀で使う道具を作るのにも使われている。右は集落にいくつかあった高床式の穀物庫である。ほとんど見られない地域が多い中、ここの集落には高床式の倉庫が2、3件残っていた。昔は藁葺きの屋根だったが維持管理が大変なため簡素な屋根になっている。このことから、現在でもこれらの倉庫が使用されていると考えられる。

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シマの山側、里の付近には毎年ショチョガマと呼ばれるお祭りが行われる小高い丘がある。このショチョガマと後で紹介する平瀬マンカイの2つの祭りは、旧暦8月の初丙の日に行われるアラセツ(新節)という行事の一つである。アラセツはここのシマ以外にも行われており、ノロの弾圧があった以降も民衆に根付いている行事の一つである。ショチョガマとは右の写真のような建造物のことで、シマの人が1日かけて作り、夜開け頃の干潮の時間になると男性がその上に乗って揺さぶり、倒れた方向によって豊作を占うという行事である。南に倒れると豊作、北に倒れると凶作になると言われている。戦時中に一時は途絶えてしまった行事であるが、その後また復活した。

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明け方にショチョガマを終えると同日、今度は海へ向かい平瀬マンカイという行事に移る。これは夕方4時頃満潮の時刻に合わせて行われる。海岸には左の写真のように2つの大きな神聖な岩があり、一方は神平瀬岩と呼ばれるユタだけが乗ることができるもので、もう一方は女童(めらべ)平瀬岩と呼ばれ男性など様々な人が乗るものである。現在この地域のユタはみんな亡くなってしまった。
ユタをはじめとする人々は双方の岩の上に乗って、唄の掛け合いをすることで海に向かって豊作の祈りを捧げる。この祭礼が終わった後は、岩のそばの浜辺でシマの人々みんなが集まって踊ったり、食事をしたりする。

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今井大権現神社に吊るされている鉦や前面に飾られている3つの雲外鏡、礼拝の手順(1礼→鉦3回3回1回→座って3礼→合掌→3礼)など通常の本土の神社とは異なった風習が見られた。これらはノロやユタによる祭礼に則ったものでこの神社、この地域にユタへの信仰が根付いていることが分かる。

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今井大権現神社の中には神社の歴史や主な行事・風習にまつわる資料が貼られていた。この写真は9月9日に行われる神社の重要な祭りの様子を説明しているものである。左の写真は朝の満潮時に海へ行き、身を清め、鏡を海に入れることで陰月竜宮海汝神(インゲツウナリカミ/海の女性の神)をお迎えする様子である。そして右の写真のように陰月竜宮海汝神を山頂の今井大権現神社までお連れして、天太陽皇男神(アマテイラスヲカミ/太陽の男性の神)を降臨させ、二人の神々を再開させる。

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この行事で向かう海がここである。このシマの立神が正面に見える場所である。

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これらの地域には海や海彼方の世界(ネリヤカナヤ)に対する信仰があることが行事からうかがえる。この地域では、地域の伝承に基づいて作られたこの絵本が説明するように、稲が海の向こうの国からもたらされたものであるという考え方がある。

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奄美大島龍郷町秋名・安木屋場集落における稲作祭祀は里や山だけでなく、海への感謝・祈りも込めて海のものを利用している。